嵐と私

2020年がもう終わります

嵐が1つの区切りをつけるので

私自身と嵐の歴史を個人的に振り返ります

いろんな気持ちを2020年に置いて

新しい年を迎えようと思います

 

  1. 嵐との出会い
  2. TimeのDVD
  3. ファンクラブ入会
  4. 初めてのコンサート
  5. 初めてのアリーナ席
  6. 遠征
  7. 番組協力
  8. テレビ、雑誌
  9. 応援スタイルの変化

 

1.嵐との出会い

正確には覚えてないけど「嵐」を認識したのは

小3で同じクラスにいた松潤ファンの友達に

「お楽しみ会で一緒に嵐踊らへん?」と誘われたのがきっかけ

課題曲は「きっと大丈夫」で担当は相葉くん

放課後毎日その子の家に5人集まって、ひたすらPVをみて練習

その子のお母さんが歌割も考えてくれて、いろいろあったけど

無事発表もできていい思い出

そこから花男も見だして嵐というものの認識をしたなぁ

 

2.TimeのDVD

きっと大丈夫ダンスチームの二宮担当の子も

そこからがっつり嵐を追うようになって

TimeのDVDを買っていたので一緒にその子の家で観賞会

あと少クラプレミアムに出たやつとか

NEWSのSummerTimeを見た記憶がすごいある

そこで、私もTimeが欲しいってなって

でも高いやん、小学生の何千円って大金やん

親に買ってもらうのも申し訳ないなぁっておもってたから

とりあえず少しでも安いものを、、、ってことで中古品を

親に見せてた記憶がある(笑)

でも新品のがいいだろうってことで新品買ってもらった

毎日みてたんじゃないかな、Timeいいもん、最高やん

 

3.ファンクラブ入会

DVDばっか見てるとライブに行ってみたいとなるのは

自然の摂理なわけで

何がきっかけか忘れたけどDreamAliveのアルバム買ったあとに

頑張って調べて紙の振込用紙にいろいろ書いて郵便局で

ファンクラブ入会したなぁ...(2008年8月)

 

4.初めてのコンサート

FC入って初めての申し込みが5×10

当落確認が電話で全然つながらなかった覚えがある(笑)

で、夜にかかって「全公演チケットお取りすることが…」って

アナウンスを聞いて1回目は信じられず何回もかけなおした(笑)

で、夜中にもかけようとして「電話もただじゃないねんで!」と

怒られ受け入れた(笑)

それから1年、中学1年のときに風景コン当選!

当たった時のことが全く覚えてない、これ電話やっけ?w

金曜やったから掃除さぼって早退

初めての京セラドーム

友達のお母さんにグッズ代行頼んで、謎に翔くんのうちわ買って

ペンライトはディズニーのやつで今思えば怒られるもの持ってったな…

席は上段2列目正面で、始まるまでそわそわして、でも信じられへんくて

始まってからも「ほんまに目の前にいるのは嵐なん?マジ?」が

消えへんくて、MCのときにようやくホッと一息つけた感じ

「夢じゃないんや…」と…くらいしか覚えてないかな、10年前のことですね

 

5.初めてのアリーナ席

風景、飛んでPopcornと参加して席も遠くて

モニターみて嵐いるんだ、と感じてた

それでも、ペンライトの海や掛け声きいて自分も楽しんで満足してた

でもLOVEで初めてアリーナ席に入ることができて、

目の前、双眼鏡無しの肉眼で嵐がそこにいて

銀テープも頭の上に振ってきて

幸せってこういうことなんかと、とてもうれしかったです

天井席もアリーナも楽しめるという嵐のライブを

身をもって知ったタイミングですね

 

6.遠征

2014年のデジまではドームツアーの京セラナゴヤ公演にのみ

参加してて遠征を経験したことがなかったんですね

で、大学1年のとき、Japonismが全滅して

途方にくれていたらサークルの先輩から

「親戚が北海道のチケット持っててよかったらどう?」と(泣)

同じサークルの嵐ファンの同期(出会って半年)と一緒に

札幌遠征することに

声かけてもらったのが10月末で11月半ばのライブやったらか

もうてんやわんや、二人とも飛行機とったことないし

宿はないしで大変大変

のちの遠征力はここで身に着けたなと実感

何とか飛行機と宿を確保していざ出陣

寒いしグッズ始発で並ばなきゃいけないし

個数制限あるしで大変やけど、とにかく楽しい

嵐のコンサート含めてそこに至るまでの過程も楽しめることを知った年です

 

7.番組協力

2016年秋、大学生で平日気軽に休めるから

VS嵐の番組協力にちまちま申し込みしてたら奇跡の当選

1人で夜行バスのって東京出陣して番協参加

アリーナ席よりも近いところに嵐くるし、

何よりテレビの収録現場を見るのが初めてで、

「東京に住んでるやつらは何度もこの景色が見れるのか!」と

関東に住みたいと思う最初のきっかけになったと思う

番協なんて1回しか当たらんと思ってたから

2回目当たってびっくり

年始のSPの観覧で、席も前回より良くて

大学4年で最後になるだろうし、めっちゃ記念になったな

 

8.テレビ、雑誌

録画して見始めたのは嵐の宿題くんから

途中からやったけどもう毎回おもしろくて

嵐のこういうところが好き!って毎回なってた

そこからゴールデンのVS嵐ひみつの嵐ちゃん嵐にしやがれ

毎週欠かさずみて録画できてなかったら泣きわめいてた(笑)

音楽番組も録画して丁寧に嵐のとこだけ編集して

画質ガサガサのDVDに焼いて貯めてたなぁ

今もあるな、、

(律儀に編集してくれるのはええことやけど、

掛け持ちしている今、すごい後悔してます)

 

9.応援スタイルの変化

2015年まで嵐一筋で応援し続けて、

ジャニーズのほかのグループになんて全く興味ない生活をしてた

でもKAT-TUNの充電前LIVEに参加したときから

KAT-TUN関ジャニ∞、NEWSにも興味持つようになった

嵐はどんどんでかくなっていくのに、アリーナツアーしたりで

私自身とのずれが大きくなってそこまでの熱量がなくなった

でも全部が嫌になったとかじゃなく、好きな嵐はずっといるし

嫌いになれるはずもなくずるずる文句言いながら

めんどくさいファンやってました

 

10.今

2019年1月活動休止の発表があり号泣したのも事実

今他のグループを応援してても、根底にあるのは

嵐で、嵐がいたから乗り越えられることができたことは

山ほどあって、KAT-TUNにもエイトにもNEWSにも

それは越えられないなって

部屋にたくさん飾ってあるうちわを見るのがつらくて

会見の日は部屋に入るのが嫌だった

でも会見をちゃんと見て「解散ではない」

「いつになるかわからないけど、また戻ってくるかもしれない」

「2年かけて責任を果たす」という言葉ですこーーし安心した

 

実際2年が経とうとしている今、正直実感ないです

このブログ書いて当時の気持ちを思い出して

感傷に浸るという意味では泣けてくるけど

明後日、1月1日以降、嵐5人そろった姿が見れないってのは

正直想像つかないし、わからない

この2年でファンが追い付けないほどのことをしてくれた

それがよいか悪いかは人それぞれで、でも私は

お疲れさま、ゆっくり休んでねという気持ちしかないです

 

新しい5人の写真が発売されない

5人の新曲が聞けない

嵐のツアーの発表に一喜一憂しなくなる

あ、嵐いないんだって実感する時がいつかやってくるかもしれないけどね

 

出会って約15年、私の人生の半分以上が

嵐に助けられ、勇気づけられ、救われました

今の私があるのは嵐5人のおかげです

本当にありがとうございました

 

あと1日、ラストライブ、無事に開催され

無事に終わりますように!!

 

よいお年を!!!!!